「でこぼこ」をアジャストするのが税理士の役割 〜『本とはたらく』矢萩多聞 著 を読んで〜

「でこぼこ」と「でこぼこ」をアジャストするのが税理士の役割

インドはでこぼこの国だ。社会そのものもまっすぐな水平の上に建っていないから、人間のほうが「アジャスト」する必要がある。道を平らにつくって車が揺れないようにするのが日本のやり方ならば、でこぼこ道に合わせて走る車をつくるのがインドのやり方だ。日本の平らになれてしまった自分のからだを、少しずつインドのでこぼこに合わせていく。それがインドの生活の作法だと思う。

国が定める税法は、会社の経理に影響を及ぼします。税法が変われば、それに合わせて経理も変わるといっても言い過ぎではないものです。

税法は全国民が対象になるため「平ら」であることが理想ですが、人それぞれ状況が異なることから、全国民を一律に取り扱うことがは困難で、それぞれの立場に合わせた制度になっている。

つまり、税法の理念は「平ら」であるが、人はそれぞれ特徴があり「でこぼこ」であるから、税法も「でこぼこ」を許容する制度になっています。

たとえば、消費税法において、全事業者を納税義務者とするのではなく、各事業者の状況に合わせて「免税事業者の制度」や「簡易課税制度」を設けることで、「でこぼこ」を許容しています。このことから、税法は「平ら」ではなく「でこぼこ」な制度ということが伺えます。

理念は「平ら」であるが、人は「でこぼこ」であるがゆえに、「でこぼこ」の制度でなければなりません。

このように「でこぼこ」を許容する制度とすることで、「でこぼこ」である人がその枠組みに当てはまり、全国民を対象とする税法であることができます。

では、「平ら」と「でこぼこ」を併せ持つ税法を踏まえ、税務の専門家たる税理士はどうあるべきかを考えます。

税理士は「平ら」である税法の理念と、人を対象とする限り「でこぼこ」でなければ実務上運用できないという税法の実情を理解し、「でこぼこ」である人(お客様)のそれぞれの特徴を踏まえて、税法のどの「でこぼこ」にフィットするのかを見定めることが求められるのではないでしょうか。

つまり、税法とお客様をアジャストすること、「でこぼこ」と「でこぼこ」をアジャストするのが税理士の役割と考えます。

 

はじめからアウトラインは完成しないものと考える

アウトラインを完成させてから文章を書くことをセオリーとする一方で、アウトラインが完成せずとも文章を書きはじめ、書きながらアウトラインを完成させるといった考えがあります(こちらの記事を参照)。

文章をはじめとした、作品作りのプロは、まずはアウトラインを完成させて、そのアウトラインに沿って作品を作ることができるが、一方で、私を含め作品作りの素人は、アウトラインの完成を待っていてはいつまでも作品の作成に着手できないから、アウトラインが未完成のままでも作品作りはじめ、その上でようやくアウトラインが完成するといったイメージを持っていました。

しかし、下記引用にあるように、どうやら私のイメージとは違うようです。

アニメーション監督の宮崎駿は、長編映画であっても、脚本をあらかじめ用意せず、シーンごとのスケッチや絵コンテを描きながら物語を組み立てる、と聞いた。そういえば、一昔前のインド映画もきまった台本がなく、撮影のとき、監督が役者に台詞やト書きを口頭で伝えて演技してもらい、あとで編集して物語に仕立てる、というつくり方が多かった。はじめにすべてを設計するのではなく、考えられるあらゆる可能性を試しながら、目のまえに生み出されたものを足がかりにして、つぎに足をのせる場所を探り進んでいく。

上記に記載する方法は、「アウトラインを完成させてから」というアプローチではなく、「作り始めてからアウトラインを完成させる」アプローチなのではと考えます。

各界の著名な方であっても後者の方法で作品作りを進めるのであれば、そもそも、セオリーとされる『アウトラインを完成させてから作業に入る』ことは現実的な方法ではないのではないかとさえ思います。

はじめからアウトラインを完成できないことに対して、後ろめたく思う必要はないということに安心します。

 

税理士か、たんなるサラリーマンか

スーパーエディター安原顯さんは「いい編集者とは?」という問いに対して、こんな言葉を残している。「いい編集者も、悪い編集者もない。いるとすれば、編集者か、たんなるサラリーマンか、そのどちらかだ」これまで六〇〇冊超 (二〇二二年四月時点)の本を、何十人もの編集者とつくってきたが、そのとおりだと思う。著者が好きで、その本をなんとか世に出したいと願う編集者。会社の連絡役として、そつなく作業をこなせばいいと思っているサラリーマン。そのどちらかしかいない。著者にとって最初で最後になるかもしれない本であっても、テンションが低く、たんなる連絡係以上の仕事はせず、流れ作業に甘んじている編集者がいる。編集者のテンションが低ければ、本づくりの温度も下がり、装丁もつかみどころのないデザインになってしまう。そういうイマイチな本でも書店に並び、だれかの目にふれ、矢萩多聞の仕事として認識される。これはほんとうに怖いことだ。どんな編集者だとしても、そのときできうる可能性をすべて試し、限られた時間とコストのなかで精一杯つくる。

いい税理士とは?この問いは税理士になった頃から常に自分の中にあります。

本著の言葉を借りれば『いい税理士も、悪い税理士もない。いるとすれば、税理士か、たんなるサラリーマンか、そのどちらかだ』になるでしょう。

税理士か、たんなるサラリーマンか。

この問いは、顧問税理士としてお客様とどのような関係を築きたいのかにつながるものです。

税理士でありたいのであれば、お客様について知らなければならないし、お客様のことを応援したいと心から思えるような関係でなければなりません。

ビジネスだからと、どんなお客様でもいいからと受け入れるようでは、お客様のことを理解できず、単に流れ作業としてお客様の税務をこなすだけになってしまい、それはつまり税理士ではなく、「たんなるサラリーマン」化してしまう恐れがあります。

税理士でありたい。そのためにはお客様のことを知り、お客様を心の底から応援したいという気持ちでを持つ必要があります。お互いに良好な関係が必要です。

お客様との良好な関係を築くには、手間も時間もかけるもので、効率化を求めることはできません。効率的に進めようとすると、それは流れ作業のような事務的なものになり、お客様の表面上のものしか見えません。

お客様との良好な関係、信頼関係を築くことに効率を求めてはいけません。

効率はなんでもかんでも求めていくものではなく、効率化すべきことと非効率のままであるべきものを見定める必要があります。

非効率なことと効率の良いことを混ぜたその先に、たんなるサラリーマンではない、「税理士」となることができると考えます。