税理士としてのセンスを磨くために「再現思考から降りる」こと 〜『センスの哲学 』千葉雅也著 を読んで〜
税理士として独立し開業すると、事業が成功するもしないも、生活が出来るも出来ないも全ては自分次第です。
これまで勤めていた時とは違う立場になることから、まずは他の開業している税理士を研究し、その良い部分を取り入れていくことで自分の税理士業の参考にしようと考えました。
目指すべきモデルとなる複数の税理士を研究すればするほど参考にしたい部分があり、あれもこれも取り入れたい、取り入れなきゃいけないという思いが募ると同時に、自分に足りない部分が明らかになることで焦る気持ちが高まりました。
そうこうするうちに、いつしか税理士として事業を成功させるには目指すべき複数のモデルを完全コピーすることが必要であるかのような感覚になりました。
しかし、目指すべきモデルをコピーするように行動を起こすものの、コピーをするには時間も実力にも限界があることを感じました。
そして、どれだけモデルの真似をしようとしても、完全にコピーすることはできないし、そもそも完全にコピーすることが必要なのだろうか、お客様にサービスを提供するのに必ずしも完全コピーすることが求められていないのではないかという考えになりました。
肩肘を張ってコピーすることに執着するのではなく、自分ができること、自分のカラーを大事にした上で、モデルの参考にすべき部分を無理のない範囲で取り入れてミックスしていく。あくまでもモデルの完全コピーを目指さないこと、これは本書でいう「再現思考から降りる」ことです。「再現思考から降りる」ことは自分らしさの追求であり、このことはお客様へのサービス提供につながるのではないでしょうか。
開業し自営業としてやっていくことの不安から、まずは目指すべきモデルを参考にすること自体は全く問題がないと思いますが、参考にするのではなく、行き過ぎた再現思考、完全コピーを目指すのは自分の方向性を見失うのではと危惧します。
本来の目的は税理士として成功することです。そのための手段としてモデルを参考にすべきところ、それがいつしか、モデルの完全コピーを目指そうとしていないだろうか、手段と目的が入れ替わっていないだろうかを常に自分に問い続けていきたい。
「他者のコピー」として勝負するのではなく、「自分」で勝負する姿勢を持ち税理士としてのセンスを磨き続けていきたい。
モデルの再現から降りることが、センスの目覚めである。言い換えると、再現志向ではない、子供の自由に戻る。それがヘタウマです。とはいえ、モデルを目指そうとしてしまうのは自然なことです。人間は、周りにいる人や、見たり聞いたりしたものを参照して自己形成していくからです。ただ、何かと同じになりたいという「再現しすぎ」の傾向から降りる。モデルは、あるにはあるんです。しかし、そのコピーを目指すのではなく、それを向こうに置いておいて、一応はそっちを見ながら、その手前で違うことをやってしまっていい。
再現志向から降りるという最小限の姿勢の変化だけで、第一段階、あるいは第ゼロ段階として、センスが良くなったと言える、というのが本書の考えです。 その姿勢をとることで、いろんなものをインプットするときの効き方が変わってくると思います。再現から降りる。モデルはあるにしてもそれを抽象化して扱う。 抽象化とは、意味を抜き取ることでもある
何かをやるときには、実力がまだ足りないという足りなさに注目するのでなく、「とりあえずの手持ちの技術と、自分から湧いてくる偶然性で何ができるか?」と考える。 規範に従って、よりレベルの高いものをと努力することも大事ですが、それに執着していたら人生が終わってしまいます。人生は有限です。 いつかの時点で、「これで行くんだ」と決める、というか諦めるしかない。人生の途中の段階で、完全ではない技術と、偶然性とが合わさって生じるものを、自分にできるものとして信じる。