効率化で生まれた余白を意識すること 〜『じふん時間を生きる』佐宗邦威 著を読んで〜

 開業して以来、税理士業務を効率化しなければならないという考えのもと、効率化のための様々なテクニックやツールを吸収するよう日々努めています。これら効率化の対策のおかげで、対策しなかった頃に比べて格段に業務の効率化が進んでいることを実感します。

 しかし、その一方で疑問が湧いてきました。それは、効率化することで余白が生まれたはずが、いつまで経っても忙しさが変わらず、余白を実感できないことです。

 いったい余白を何に使っているのでしょうか。そのことを即答できない自分に違和感を覚えます。

 そこで、余白の行方を探すために「一日に行動したこと」と「それに要した時間」を記録し自分がどういったことにどのくらいの時間を使っているのかを調べてみました。数ヶ月が経ち記録を振り返ってみると、余白は主に「仕事」に使っていることが明らかになりました。

 一見すると余白を仕事に使っているのであれば、有効活用しており良いことのように思えますが、実際には喜べるものではありません。なぜなら、余白を仕事に使っているのであればいくら効率化しても忙しさは変わらないからです。さらには、余白を使っている仕事は、無意識に増やしている仕事のため、それ自体が非効率な仕事であることが多く効率化が必要と思われるものでした。

 もちろん、仕事ではあるので無駄とは言いきれません。しかし、せっかく効率化することで生まれた余白を無意識に使い、そして非効率的な仕事で埋めてしまうのは勿体無いものです。

 仕事を効率化することで余白を生み、その余白を使って非効率な仕事を生み出す。そして、その非効率な仕事を効率化することで余白を生み出す…知らないうちにこのスパイラルに陥っており、あくまでも余白は非効率な仕事を生み出すために使われていました。

 目の前の仕事を効率化することに注力しても、その後の余白の使い方まで注力しなければ時間がいくらあっても足りず忙しいままであることを痛感します。

 開業当初に比べて仕事を効率化していく試みは身についてきました。今度はその効率化で生まれた余白を意識し、その使い方に注目していきたい。余白を何に使いたいのか、それはプライベートのことなのか、仕事のことなのか、具体的にはどういったことがしたいのかまで考えを落とし込み、「余白にやりたいことリスト」を作成してみようと考えます。

 余白を意識しないことで何に使ったのかわからないまま余白を浪費していくのではなく、余白を意識して能動的に活用していきたい。

生産性を上げることを良しとする言説の裏には「生産性が上がれば余白の時間が増えて、豊かな人生が送れるはずだ」という前提がある。 生産性を上げることで生まれた時間は、より有効な何かに配分されるはず、ではないのか。しかし、実際に僕の人生に起こっていったことは、時間を効率的に使おうとすればするほど、結果的に仕事が増えていったことだった。生産性を上げて、時間を貯めようとしているのに、それに注力するほど「時間がなくなっていく」という矛盾。僕が生きているメカニズムのどこかに時間泥棒がいるんじゃないか。

仕事を効率化させようとすればするほど、どんどん追い立てられる。余った時間ができたとしても、そこには「新しい案件」が次々と入ってきて、結果的に仕事量はさらに増える。

今・ここに流れている「時間をどう感じたいか」という意思を持つことから、変化は始まるのではないか。大事なのは、時間を「効率的に」使うかではない。自分が過ごしている時間を、「自分を主語に」今を感じて豊かに過ごせるか。「他人に支配された時間で生きる世界」から、「自分の時間を生きる世界」への転換ではないか。

「より良い未来も大事だけど、それ以上に今ただ過ぎていく時間に意識を向けて生きる」