『QUITTING やめる力 最良の人生戦略』ジュリア・ケラー著 を読んで
やめることはとても勇気がいることで、やめるためには気力や体力をとても使うもの。やめることはその決断をするまでずっと頭を悩ませるもので、いざやめた後もやめてよかったのかと不安になるものです。
このように書くと、やめることはネガティブなものであり、まるでデメリットの塊のようです。ただ、私はこれまでやめることをしてきたからこそ、成長し続けることができたと思いますし、今の自分があるのは間違いないことです。やめることで後悔したことよりも、やめることで受けた利益の方が大きいものです。
私が税理士になってから、やめたことを3つ挙げて、やめることについて振り返ります。
やめるためには楽観的に考える
まずは、勤務していた税理士事務所をやめて自ら税理士事務所を独立開業したことです。
勤めていれば毎月給料が貰えるので収入が安定しているのに、勤めることをやめて安定を手放し独立したことは私にとって大きな挑戦です。独立開業するといえば聞こえはいいかもしれませんが、収入がゼロになるリスクがあり、もしそうなれば生活していくことができません。あらためて考えると、こんなにもリスクが大きいことをよく決断したなとも思いますが、なんとかなるだろう、なんとかしていこうという楽観的な考えを持っていたことが独立を後押ししてくれた要因の一つです。
この楽観的な考えがなければ、怖くて独立できなかったと思います。現在独立してから9年が経ちましたがこれまで一度も独立したことを後悔したことがなく、勤務に戻りたいという気持ちになったことが一度もないので、やめることで自分に合った方向性に舵を切れたと思います。
恐怖に打ち勝つ唯一の方法は、楽観主義者になること。ここでの楽観的な考えとは、絵に描いた餅でも、愚かな振る舞いでもない。それは、理にかなっていて、妥当で、努力によって得られた楽観主義だ。火をつけるために「やめること」がどうしても必要となる楽観主義だ。
やめることは、何かを手放せば終わりになるわけではない。やめた後には不安や戸惑いが生じる。慣れ親しんだ世界も失われる。もちろん、新しい世界に慣れていくことはできるが、最初のうちは戸惑いを感じるものだ。自分の居場所を失えば、漂流する船になったような気持ちになる。やめれば他者とのつながりを失うが、それをきっかけにして新しいつながりをつくるチャンスも生まれる。
現状維持をやめること
次に、長年にわたって顧問先に使用してもらっていた会計ソフトをやめたことです。
これまで使ってきた会計ソフトをやめて新しい会計ソフトに変えることは顧問先にとってメリットがあると判断してのことですが、人は使い慣れたことをやめるのは面倒くさいもの。ましてや、会計ソフトの変更により手間と時間をかけても、目に見えて売上や利益が増えるものではないものです。このようなことから、会計ソフトの変更を断られるかもしれないという不安や、もしかしたらお仕事を失うかもしれないという恐怖がありましたが、ありがたいことに顧問先が受け入れてくれたため、順調に会計ソフトの変更ができました。
これまで通りでいいや、面倒だから変化を望まないという気持ちは誰にでもあるものです。しかし現状に甘んじることなく、やめることで、顧問先も私も新たなメリットを受けることができました。
人は気がつかないうちに、現状維持のために必死に努力をしている。周りから影響を受けないようにしながら生きている。そこから抜け出して初めて、自分がどれくらい以前の生活にはまっていたかがわかる。だから、やめるには思い切りが必要なの。──ダナ・スピオッタ(小説家)
恐怖に負けて満足のいかない仕事を続けてしまうこと──がもたらす不利益は思っている以上に大きいと警告している。
100%ではなく95%やめること
次に、電話を使うことをやめたことです。
これまで顧問先との連絡のやり取りは電話をメインで使っていましたが、顧問先と私のお互いのコミュニケーション環境を整えるために、電話をやめてメールやチャットで連絡をとることにしました。メールやチャットでは意図が伝わらないかもしれない、電話のようにリアルタイムで話さないのは問題になるかもしれないと電話をやめることへの不安がありましたが、結局これらは問題になりませんでした。ただし、100%電話を使うことをやめるのではなく、メールやチャットでは伝えづらい内容など事情があるときはこれまで通り電話を使うことにしました。電話を100%やめるのではなく、95%ぐらいやめた事になります。これは、電話をやめることが目的ではなく、お互いをより良い環境にすることが目的なので、闇雲に全部をやめることはしませんでした。メールやチャットで連絡することをメインとし電話を95%やめることで快適なコミュニケーション環境が整いました。
このように、やめるといっても、キッパリとすべてをやめるのが必ずしも最適ではなく、一部をやめることが最適になることがあります。
これまで抱いていた希望や夢をひとつ残らず捨ててしまう必要はない。よく考えて軌道を修正したり、試しに脇道に入ってみたりすればいいのだ。いったん半やめすることで、新しい方向に進みやすくなり、人生の選択肢の幅が広がる。
やめることは、イエスかノーか、生きるか死ぬか、今やるか一生やらないか、というような極端な形をとる必要はない。必ずしも、すべてを吹き飛ばしたり、すべてを片づけたり、すべてをなかったことにしなくてもいい。わずかだが重要な軌道修正をすることも、やめることになるのだ──こうした小さな変化は、すべてを一度にやめるのと同じくらい重要なものになり得る。これは何もないところからやり直すのではなく、すでに知っていることを活かしながら前に進む方法だ。
これまでを振り返ると、やめることは新しいことを始めることにつながっています。とはいえ、やめることが唯一の正解ではなく、続けることの方が正解の場合もあると思います。つまり、やめることは人生における選択肢の一つです。これからも、やめることの選択を通じて前進をしていきたい。
人生の戦略として「やめること」を選んでも、それがうまくいくとは限らない。やめるということは、選択を間違うかもしれない恐れに直面しながら、自分で人生の主導権を握ることだ。そして突き詰めれば、間違った選択などはない。唯一の絶対的な間違いは、何も選択しないこと。何も選択しなければ、誰かに人生を決められることになるだけだ。
「やめること」が常に良い手段になるとは限らない。当然ながら、状況や人を問わず、常に正しい行動というものはない。それでも、「やめること」は最初からダメだと思われていることがあまりにも多いのも事実である。