『15分あれば喫茶店に入りなさい。』齋藤孝著 を読んで

喫茶店がくつろぎの場所から生産的な場所へ

 税理士試験受験生時代は、勉強は自習室でするものという考えでいたため専ら自習室に籠って勉強をしていました。受験生仲間の中には、喫茶店で勉強する方もいらっしゃいましたが、周りの物音やその場にいる人、お店の雰囲気が気になってしまい集中して勉強ができないと考え、喫茶店を勉強する場所として積極的に利用することはありませんでした。

 働きはじめてからも、仕事はオフィスでするものという考えでいたため、仕事や自己研鑽のための勉強、読書のために喫茶店を利用するという選択肢は頭の中にありませんでした。

 ある日移動の途中に時間が空いたので、たまたま通りの喫茶店に入り事務作業や読書をしたときに、短時間でしたが不思議と集中し、充実した時間を過ごせたことに驚き満足感を得たことが強く印象に残りました。

 この日をきっかけに移動の隙間時間には喫茶店に入ることが多くなり、その他、子どもと書店で本を買った後や、図書館で本を借りた後に喫茶店に寄って読書をするようにもなりました。

 これらの経験を踏まえて、私にとって喫茶店はコーヒーを飲んでくつろぐ場所から、仕事や勉強、読書をするなど自己研鑽の場所、つまり、生産的な時間を過ごす場所として活用できるのではとの認識をあらためたところ、本書に出会いました。

なぜ喫茶店なのか(中略)喫茶店には人の目があります。家のソファのようにゴロンとダラけることはできません。 一方で、ではそれほど堅苦しいかというと、コーヒーなどの飲み物があって、のんびりリラックスできる自由な雰囲気があります。 その「ちょっとだらけた公共性」が、自分をコントロールするのに最適です。だから仕事モードのスイッチが確実に入ります。それが喫茶店です。

喫茶店は、オフィスと家庭とのあいだにある、いわば「中間的な場所」です。これからの時代は、こういった中間的な場所がますます重要になってきます。自分をつねにアクティブかつポジティブな状態にしておくためには、家でもオフィスでもない、中間的な場所が必要だからです。

家は完全にプライベートな空間ですから、だらけて遊んでしまう。逆にオフィスはリラックスできないうえに、ルーティンの仕事がてんこ盛りのため、自分のための勉強や、新たな仕事を生み出す発想をするときは気分が乗りにくい。 喫茶店のように「公」と「私」の中間にある領域、公共の場所ではあるけれど、みんながプライベートな話もしている、という「半公共的」な性質の空間には、頭をクリエイティブな方向に働かせるいい空気が満ちています。その空気感こそが、いままでの日本人にはなかったメンタリティをもたらしてくれるのです。

 これまで自分の時間を使う主な場所としては、「自宅」と「オフィス」の2択だったところ、「喫茶店」という第3の場所が出来たことで、時間を使う場所の選択肢が増え、このことは時間の有効活用、生産性を高めることに繋がっています。

 このように、くつろぐ場所としてしか考えていなかった喫茶店が、生産性を高める第3の場所となる経験を踏まえて感じたことがあります。それは「どこでも生産的な行動ができるのではないか」ということです。

 ここでは集中できない、ここでは生産的な行動はとれない、と固定観念で決めつけていた場所が、実は工夫次第で生産的な場所になる。固定観念を捨てて「どこでも生産的になれる」そのチャンスを掴む嗅覚を養い行動していこうと考えます。

ビジネスパーソンの仕事は、これからますます結果が出ればどこでなにをやってもいい、という方向になっていきます。 結果を出せばどこでなにをやってもいい。

自由な雰囲気からこそ、新しい発想が生まれます。まとまった勉強をしたい人も、毎日の仕事の前や後に、1時間だけ喫茶店で過ごす余裕があれば、何カ月か積み重ねると相当な量になります。 そのためにも、「どこでも勉強できる」「どこでも仕事ができる」というテクニックを身につけておきたいものです。

 

正解があるのかないのかわからない問いに向き合う時代

 税理士として仕事をする上で、正解がひとつではない問いに直面することが多々あります。

 例えば、顧問先から事業承継に関する相談ごとでアドバイスを求められることがありますが、税金面での最適解と、先代社長や後継者の気持ちの面での最適解は必ずしも一致するものではなく、正解がひとつではないものです。

 また、顧問先の経理の効率化についてご相談を受けることがありますが、様々なツールがある中で、何をどのように組み合わせるのが効率的なのかは顧問先の業種や予算、経理に携わる人数などで変わるので、正解はひとつではないものです。

 学校のテストは正解がひとつですが、それ以外の場では正解がひとつではありません。正解がひとつではない問いに向き合い続ける時代に生きていることをあらためて認識しました。

生きている人すべてがコンセプトを考える必要に迫られている時代だと思っています。 どうしたら会社の経費削減が実現できるか。どうしたら五人で分担していた仕事を三人でこなすことができるか。 目に見えない事柄、存在しないものを生み出すために、中心となる概念を見つけて適切に命名するのが「コンセプト」です。正解が必ずしもひとつではない。または正解があるのかどうか誰もわからない問いかけに向かって、知恵を絞る。コンセプトを考えるというのは、きわめて高度な思考です。

 

完璧主義を手放し制限時間で生産性を上げる

 私は完璧主義のようなところがあり、課題を出されたら自分の中で納得したクオリティまで仕上げないと提出することができず、その結果、いつまでも成果物が完成することがないことがあります。

 一方で、制限時間が設けられた課題の場合は、自分の中で納得したクオリティまで仕上げられなくとも、時間内に提出することが求められるので、その時間内に最善を尽くして成果物を仕上げます。

 このような時に、制限時間なしで好きなだけ時間をかけて完成した成果物と、制限時間内に最善を尽くして完成した成果物を比較すると、おそらく両者にはさほどクオリティの差はないと考えます。

 差があるとすれば、それは本質とは関係のない些細な部分のクオリティの差であり、それは自己満足であって外部の目から見るとわからないもの、外部からは評価されない部分なのかもしれません。

 つまり、制限時間なく自分が納得するまで時間をかけることは、時間の無駄とも考えられます。

学生に簡単なアンケートに答えてもらう課題を出すと、放っておくと20分でも30分でもかけようとします。「こんな簡単なことは5分以内でやってください。とにかく5分でかたちにすることが目的です」と予め宣言しても、5分で終えられない人が必ずいます。私が企業の人事担当だったら、そういう人は採用しません。 この場合は、5分で最後まで仕上げてくれれば、内容はさしあたりどうでもいいのです。しかし、多くの日本人は、そうした時間の感覚が鈍いように思います。

日本人の時間感覚のルーツは、おそらく小学校の授業にあるのではないでしょうか。小学校の授業は一時限を45分とし、その間、ゆるやかに時が流れています。 それと対照的なのが、スポーツのトレーニングにおける時間の流れ方です。私がこれまで経験してきたテニスや空手のトレーニングでは、2分、3分という短い時間で、どんどんメニューを切り替えます。15分もやったら、ヘトヘトになります。ボクシングのジムでも同様で、3分間は縄跳び、1分休み、また3分縄跳び……というメニューが組まれています。 仕事や勉強をする際に、こうしたスポーツの時間感覚を取り入れるべきです。 たった15分や20分しかない滞在時間のなかで、なにができるか。スポーツの時間感覚で仕事や勉強に取り組めるのが喫茶店です。 時間の密度は、集中度によっていくらでも濃くすることができるのです。

 人生の時間が限られるなか、生産的に時間を使っていくのであれば、自分の中の完璧主義を手放し、著者のいうようにストップウォッチで制限時間を設ける等、集中力を高めるテクニックを駆使して取り組んでいく必要性を感じました。

ストップウォッチをところどころで使ってスポーツ的に仕事をすることで、人生が豊かになります。 ストップウォッチで集中力を高め、スピードを速める。

生産的な仕事であればあるほど、時間的なリミットが必要です。いわゆる「締め切り」です。 たとえばミュージシャンがアルバムを作るときは、予め発売日を決めるそうです。決めないと、「今年はアルバムを必ず作る」などと言いながら、結局作れないことがあるからだそうです。

 

移動時間を自宅化しているか喫茶店化しているか

 車や電車での移動の際には、これまで音楽を聴いていましたが、Audibleを導入してからは、専らAudibleで聴く読書をすることが多くなりました。

 移動時間に音楽を聴くと、自分が好きな音楽に触れつつ外部から受けるストレスが緩和されるので、居心地が良くなり、車内がまるで自宅でくつろいでいるかのような快適さを感じます。これは移動時間を「自宅化」しているといえます。

 一方で、Audibleで聴く読書をする場合は主にビジネス系の書籍を聴くことが多く、新たな知識に触れつつ外部から受けるストレスが緩和されるので、車内がまるで喫茶店で読書をし自己研鑽をしているかのように感じます。これは移動時間を「喫茶店化」しているといえます。

 移動時間に音楽を聴いて「自宅化」することは問題ではありません。問題なのは、移動時間の使い方によってその時間が「自宅化」する場合もあれば「喫茶店化」する場合があるということを知らずに漫然と音楽を聴いて「自宅化」していることが問題ではないかと考えます。

 移動時間が「自宅化」する場合もあれば「喫茶店化」する場合があるということを知ることで、今日の移動時間を「自宅化」しようか、あるいは「喫茶店化」しようかと自分の意思で選ぶことができます。

 隙間時間であっても自分の人生の大切な時間であることには変わりません。自分の意思で時間の使い方を選び有効に活用していくことが重要なのではないかと考えます。

iPodでつねに耳元をシャカシャカさせている人は、「喫茶店化」しているのではなく、むしろ「自宅化」しているのです。

音楽ではなくて、英語などの語学の勉強にするといいと思います。洋書の全文音読 CDなどを聴くのであれば、iPodを使っていても、電車のなかを勉強空間として「喫茶店化」できます。 電車のなかで聴くなら語学教材に。