『とにかく仕組み化――人の上に立ち続けるための思考法』安藤広大著 を読んで

顧問先の形骸化したルールの見直し

 税務顧問として関与させていただくお客様には、まずはこれまでのお客様ご自身で進められてきた経理の流れを確認させていただいています。

 経理の流れといってもその範囲は多岐に渡り、売上や仕入れ、経費を計上するまでの手順、現金取引の有無と現金の管理方法、出納帳への記入方法その他一連の流れをお聞かせいただきます。これらをお聞かせいただいた上で、なぜその流れで進めているのか等、疑問があるところは質問させていただいています。

 最適と考えていた経理のルールも月日が経てば最適ではなくなることがあります。創業してからの期間が長いお客様になると、今となっては非効率な経理のルールや必要性が感じられない資料の作成に時間を費やしていることがあり、これを顧問先に確認すると「昔からそうだったから今でもそうしている」「前任の経理担当がこの資料を作成していたから」という理由で続けていることがあります。

 この経理のルールや資料作成により顧問先にメリットがあるのであれば続けても良いのですが、手間がかかる上に税務や会計の視点からも何らメリットがないのであれば、ルールの見直しや資料作成の廃止を提案させていただいています。

 このように形骸化しているルールを明らかにすることや、不要な資料作成の廃止など、顧問先の「これまで」を共に見直し、「これから」のことを共に考え新たなルールを築いていく。税理士が関与することで新たな仕組み作りのお手伝いができればと考えます。

「仕組み化」というのは、「ルールを決めて、ちゃんと運営する」ということです。おそらく、「仕組み」や「ルール」という言葉を聞くと、ネガティブなイメージが先行するでしょう。それは、あなたの会社に「理不尽なルール」だと感じているものが思い浮かぶからかもしれません。「このルールは何のためにあるのだろう?」と思ってしまう決まりが、きっと1つや2つはあるはずです。(中略)ルールが形骸化してしまい、そのまま残ってしまっている状態です。誰かがその「責任」を引き受け、変えなくてはいけない。本来、人の上に立つ人が、自らの責任で変えるべきです。もしくは、「このルールがあることで、ある問題の発生を食い止めています」ということを組織全体に浸透させなくてはいけない。ルールを正しく取り扱う仕組みがないから、「理不尽なルール」と思われてしまうのです。仕組みの考えは、そうやって使われるべきです。過去に作られて形骸化したルールを、もっと大きな仕組みの枠組みによってアップデートしていく。その責任をとるべき人が、人の上に立つべきなのです。

仕組み化で運動を習慣にする

 「運動しないといけないな」家庭を持ち、税理士として顧問先に関与させていただいている身としては健康でいることが大事です。健康といえば運動をすることが挙げられますが、私は日常でスポーツをすることがなく、車社会で生活しているため運動をする機会がありません。このような中、「歩く」ことであれば、普段運動していなくても無理なく体を動かすことができ、そのための時間を確保できるのではと考えてウォーキングをはじめることにしました。

 一日の空いた時間を使ってウォーキングしようと考えていたので、午前中や、お昼休憩の前後、夕方などその日その時の気分でウォーキングをすることにしました。歩く距離や時間にルールを決めることなくウォーキングをしていたので、1回あたりの歩く距離にバラツキがあり、また、空いた時間にウォーキングするという考えのため、結局は「今日は〇〇だからウォーキングはお休みしよう」「〇〇の予定が入ったからウォーキングはお休みしよう」と何かしらの予定が入りウォーキングが出来ない日が多くなりました。つまり、「空いたら」というスタンスではウォーキングを継続することが困難でした。

 「空いたら」という不確実な未来に期待するとウォーキングを習慣にすることが出来ないので、朝の時間を使ってウォーキングすることにしました。朝の時間であれば日中のようにイレギュラーな予定が入ることが少ないため「朝の何時から何時までウォーキングをする」と時間を確保することが容易になります。また、私は朝起きるのが苦ではない方なので朝の時間帯にウォーキングすることは自分の相性にも合いました。このようなことから「朝起きたら、ウォーキング」という意識づけをしました。

 その他ウォーキングへのモチベーションを上げるため、Audibleを利用し耳で聞く読書をしながらウォーキングすることにしました。単にウォーキングをするよりもAudibleで読書も兼ねる方が楽しみが増えます。

 また、ウォーキング後SNSに投稿することにしました。自分の意志の力を過度に期待せず、SNS上でウォーキングをサボっているのが分かってしまうから頑張ろうと自分にプレッシャーをかけることにしました。

 このように、ウォーキング単体での習慣づけではなく、「ウォーキングの時は、Audibleを聴く」、「ウォーキングの後は、SNSに投稿する」というように、「○○とウォーキング」をセットにする仕組み化で、ウォーキングをする習慣づけを後押しすることにしています。

「○○をしたら、× ×をする」という、シンプルな習慣術があります。「朝にコーヒーを淹れたら、新聞を開く」「スマホの電源を切ったら、最初の仕事に取り組む」「風呂上がりに着替えたら、ストレッチをはじめる」そうやって、「簡単な行動」と「続けられない習慣」を結びつけておく発想です。仕組みのように自動化しておくと、後者のほうをスムーズに開始することができます。そして、その根底には、「性弱説」があります。「性弱説」というのは、「人はラクをして生きるものだ」と、精神論を諦めた上で物事を考えたほうがいい、という教えです。だから、仕組み化をやっておかないと、毎回、「新聞を読まないといけないな……」「仕事をしているとスマホが気になるな……」「ストレッチしてから寝ないとな……」と、頭で考えてしまったり、自分の誘惑といちいち戦ってしまうことになります。すると、どんどんと億劫になっていきます。だから、筋トレもダイエットも貯金も、「習慣」と呼ばれるものはすべて「続けられない」のです。このムダを極限までシンプルにするのが、「仕組み化」のメリットです。性弱説にのっとって改善していく姿勢が、組織をどんどんよい方向に導きます。

「腕のいい釣り師」の話から自分を見つめる

 「腕のいい釣り師」の話をご存知でしょうか?

 私はいつこの話を知ったのかを記憶していないのですが、働き方を考える良いきっかけとなる話だと思います。まずはこの話を本書より引用します。

ある島に、腕のいい釣り師がいました。その釣り師は、自分の家族だけが食べられる魚を朝に釣り、昼からは家族と過ごし、夜は友達と焚き火を囲み、歌をうたって生活しています。そこに、1人の投資家が現れて、こう言います。「あなたは腕がいい。誰かにその技術を教えるべきだ」釣り師は「なぜ?」という顔をしている。投資家は続けます。「その技術を教えて、たくさんの人を増やせば、もっとたくさんの魚が釣れます。その人たちで会社をつくり、隣に工場をつくることもできます。すると、たくさんのお金が手に入ります」釣り師は、「そうすると、何が起こるの?」と聞き返します。「あなたは、一生、遊んで暮らせることができるようになります。仕事をする必要がなくなるのです。朝は好きな釣りをして、昼からは家族と過ごし、夜は友達と焚き火を囲み、歌をうたって生活できるようになるんです」釣り師は、「だったら、いまと同じじゃないか」と言いました。

 この話を知ったとき、私は「釣り師の考え」に共感しました。なぜなら、釣り師のように拡大を求めない働き方と投資家のように拡大を求める働き方、いずれも到達すべき最終目的が同じなのであれば、あえて働き方を変える必要がなく自分に合う働き方を信じ続ければ良いと考えたからです。

ネット上では、必死に働くことを否定するための話として広まっています。あなたも、いっけん、釣り師の考えのほうがいいと思ったかもしれません。しかし、他の解釈もあると思うのです。会社として成功させたなら、大きな雇用を生み、たくさんの人をおいしい魚で喜ばせることができます。人に釣りの技術を伝えることができたなら、他の人の成長にも貢献できます。部下は育ち、おいしい魚を通して社会貢献をしています。「いま遊んでいる人」と「あとで遊ぶ人」。その違いだけではないはずです。人生の満足感が、まるで違うと思うのです。あなたはどのように考えるでしょうか。「あとで遊ぶ人」を軽視できないのではないでしょうか。

人が社会で生きていくうえで、誰かからの「存在意義」を感じることは不可欠です。親が相手をしてくれないと、子どもは家に居場所がないと感じる。学校に友達がおらず、話しかけても無視されるとつらい。社会と接続できず、誰からも頼られないのは耐えがたい。どんな場所であろうとも、1人ぼっちでは生きられません。存在を認めてくれる人が1人でもいると、精神状態は安定します。そして、できれば、より多くの人に自分の「存在意義」を認めてもらうことは、最大の喜びだと思うのです。先ほどの「魚釣り」の話は、まさにそれです。自分を満足させるだけでは、人生は満たされない。人間には、承認欲求があります。それからは逃れられません。

 著者は「釣り師の考え」ではなく「他の解釈」を提示します。それは「投資家の考え」を基に、たくさんの人への影響力や人間の持つ承認欲求に重きを置く解釈です。

 著者の示すたくさんの人を喜ばせる満足感や承認欲求を満たすこと。これはつまり、数を追求することと考えます。数には上限がなく、数をいくら増やしても上には上がいるので、自分の性格上どこまでいっても満足することなく数を追い求め、ついには目的を見失ってしまうのではないかと危惧します。

 「釣り師の考え」と「著者の考え」いずれか一方のみが正しいということではなく、いずれも正しいと考えます。周りの考えに流されることなく、自分に合う考え方を選ぶことの大切さに気づきました。