節税は本当に「善」なのか?〜ソクラテスの哲学から考える税理士の役割〜

こんにちは、栃木の税理士伊沢です。

哲学者の岸見一郎氏が著した『プラトン ソクラテスの弁明』を読み、考えさせられる一節がいくつもありました。それは2000年以上も前の哲学者の言葉ですが、現代に生き、そして税理士として仕事をしている私にとって、その在り方を考える良いきっかけになりました。

ソクラテスの言葉を引用しつつ、税理士としてどのような姿勢でお客様と向き合っていくべきかを考えてみたいと思います。

お金や節税は、本当に「善」なのか?

税理士は日々の業務で、お客様の「お金」という非常に大切なものに触れます。節税対策や資金繰りのご相談を受ける中で、どうすればお客様の利益を最大化できるかを考えています。しかし、ソクラテスは私たちに根本的な問いを投げかけます。

財産、名誉、地位、健康、美貌などは、それ自体では「善」であるかは自明ではありません。それらを所有していても幸福にはなれず、それどころか人を不幸にするかもしれません。幸福になるためには、それらが善である、つまり、ためになるかどうか、また、それらをどう使えば善になるかを知らなければならないのです。これが知恵や真実に気を使うということの意味です。

節税によって手元に残るお金が増えること、融資によって事業を拡大することは、一見すると間違いなく「善」であるように思えます。しかし、ソクラテスの言葉を借りれば、それは「自明ではない」のです。

例えば、目先の税金を減らすことだけにとらわれ、会社の成長に必要な投資を怠ってしまっては、長期的には会社を衰退させる「悪」になりかねません。そのお金をどう使うかという「知恵」がなければ、せっかくの財産もお客様を不幸にしてしまう可能性があるのです。

だからこそ私は、単に数字を計算し、申告書を作成し、手続きを代行するだけの専門家でありたくないと考えます。お客様とのコミュニケーションを通じて、そのお金がお客様の人生や事業にとって本当に「ためになる」使い方なのか、つまり「善」となる道筋を一緒に探していく。それが税理士の重要な役割なのではないかと考えます。

専門家としての「無知の知」

ソクラテスは、ある分野の専門家が陥りがちな罠についても指摘しています。

作家たちは詩を作っているということで、自分が知らない他のことについてももっとも知恵のある人間であると考えているのです(中略)専門ではないことは自分は何も知らないのではないかという自覚は必要でしょう。

このことは私たち税理士にとっても耳の痛い言葉です。税理士は税務や会計の専門家ですが、お客様の営む事業そのものについては、お客様こそが専門家です。

「自分は専門家だから知っている」という思い込みを捨て、「自分は知らない」という自覚(ソクラテスの言う「無知の知」)に立つ。そうすることで初めて、お客様が本当に大切にしていること、事業にかける想い、そして直面している本当の課題が見えてくるのではないかと考えています。

税理士が一方的に知識を披露するのではなく、お客様の「知」と税理士の「知」を掛け合わせることで、初めて最善の答えにたどり着けるのではないでしょうか。

私たちが本当に大切にすべきこと

ソクラテスは、お金や評判よりも先に、まず自分自身を優れたものにすることの重要性を説きます。

自分自身に気を使い、それより先に自分自身に付属するものに気を使うべきではない

魂というのは自分自身であり、お金、評判、名誉らは自分自身ではなく自分自身に付属するものです。

税理士の仕事は、お客様のお金という「自分自身に付属するもの」を扱います。しかし、その根底にあるのは、お客様の人生や事業そのものである「魂」です。お客様がご自身の「魂」を磨き、事業という形で「徳」を積んでいく過程を、税務を通じたお金の面からサポートする存在でありたいと考えています。

「お金から徳が生じるのではなく、お金や他のものがすべて人間にとって善きものになるのは、公的にも私的にも徳による」からである、と。

これは、会社の在り方にも通じる考え方ではないでしょうか。利益や売上という「お金」を追求する前に、その会社が持つ「徳」、つまり経営理念や社会に対する誠実な姿勢がなければ、お金もその他の資産も本当の意味で「善きもの」にはならない、と読むことができるのではないでしょうか。

常識や目先の利益にとらわれず、お客様にとっての「真実」と「善」は何かを共に考える税理士であり続けたいと思います。