税理士の仕事に「努力は不要」?さんまさんの言葉から見つけた成長のヒント
税理士として、日々、税務の専門知識を身につけるための研鑽は欠かせません。しかし、努力して知識量を増やせば増やすほど、その成果として顧客が増えるわけではないというジレンマを感じることがあります。
努力と成果は必ずしも比例しない。これは、税理士に限らず、どんな仕事にも共通する真理なのかもしれません。
このことは正直認めたくはないものです。努力は報われてほしい。しかし周りを見渡すとそうではない事実を目にします。
そんななか、ある動画で明石家さんまさんはこんな言葉を残しています。
努力して料理を作っても、まずいものはまずい。
『せっかく料理したのに彼氏が食べてくれなかった』というが、彼氏が食べたくなかったのと努力は関係ない
これまで漠然と考えていた「努力と成果が比例しない」ことを明石家さんまさんはユーモラスに表現しており、ハッとさせられました。
お客様は税理士に何を求めているのでしょうか。例えばそれは適正な税務申告であったり、税務相談への対応だったり、税務調査への的確な対応だったりと求めるものは人それぞれですが、いずれにしても税理士に努力を求めているわけではありません。
お客様が求めているのは、知識量をアピールする税理士ではなく、自身の悩みを解決してくれる税理士なのです。
つまり、お客様は税理士の努力の量に対して対価を払っているわけではありません。
では極端に言えば努力を全くしないで成果が得られるということなのでしょうか?努力して税務の知識をつけずに先述したようなお客様のニーズに応えられるかというと決してそうではないのではと考えます。重要なのは、ただ闇雲に税務の知識をつけるだけの努力は成果に比例しないことを強く認識する必要があるということです。
このことを受けてどのような意識や行動をすれば成果に結びつくのでしょうか。それは努力の量ではなく、努力の方向性を意識するべきなのではないかと考えます。
ただし、努力の方向性と言っても、言葉自体は曖昧なものでありモヤモヤとしています。努力の方向性とはこれであるといった具体的かつ明確なものがあれば苦労しないのですが、おそらくそういったものはないのかもしれません。
そこで、さんまさんの次の言葉は、努力の方向性を考えるヒントになるのではないでしょうか。
努力を努力と感じている人はダメである。
この言葉は、努力を「努力」と意識してしまう時点で、それは本当にやりたいことではないのかもしれない、という示唆を含んでいると考えます。
本当にやりたいこと、つまり「楽しいこと」をしているときは、人は努力を感じないものです。
では、日々の業務の中で「楽しい」と感じられるポイントを増やすにはどうすれば良いのでしょうか?人は楽しいことは没頭できるし、そこに努力したという意識は芽生えません。
努力した意識が芽生えないということは、「こんなに努力したのに成果が比例しない」という被害者意識が生まれず、「楽しい」に没頭していたら、気づいたら圧倒的な量をこなしていて他の税理士よりも秀でることがあるかもしれません。
もちろん、税理士として避けては通れない面倒に感じる業務もあります。しかし、それらも工夫次第で「楽しい」に変えられるとも思います。
今後は、自分が心から楽しいと思える業務にフォーカスし、日々の業務を工夫しながら、お客様に寄り添い、共に成長できる税理士を目指していきたいと考えています。
本書ではこのように述べられています(Mac Fan 2024年5月・6月合併号 コラム[努力はしない/野呂エイシロウ]より引用)。
自分で言うのもアレだが、振り返ると、結構努力をしてきたと思う。でも努力が必ずしも実を結ぶわけではない。うまくいかなかったとき、以前の僕は「挫折」という言葉を使っていた。
僕は、大学受験がうまくいかなかった。毎日5時間勉強したのに…と思っていた。努力が成果につながると言じ切っていた。だが、結果は不合格。それでも“努力病”は続いた。
「努力」を感じた瞬間に「あれ?」と思って心をリセットをする。努力していると認識した瞬間にNGを出すのである。そこを意識している。
努力をしない。人生をとにかく楽しむ。仕事とプライベートの区別もない。とにかく楽しむことがすべてである。
瞬間瞬間を楽しむ。すると、また見えてくる景色がある。努力が実るかどうかは関係ない。