書くためにはスケジュールを立てる 〜『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』ポール.J・シルヴィア 著 を読んで〜
書くためにはスケジュールを立て習慣化すること
2023年6月30日にブログを再開してから、7ヶ月が過ぎました。振り返ってみると、この期間のブログ投稿数は28本。平均すると月に4本、週に1本投稿していることになります。
「週に◯本投稿する」と意気込んでブログを再開したのではなく、「本を読み終えたらそこで得たものをアウトプットしよう」という気楽なスタンスではじめたのが良かったのか、自分が思っていたよりもブログを続けられているし、投稿数もあることが意外でした。
これまで継続することが難しかったブログ投稿について、再開してから7ヶ月間続けられたのはなぜなのだろうかと振り返ると、ブログを書く時間を決めて、あらかじめスケジュールに組み込んだのが良かったのではないかと考えます。
「朝の◯時から◯時の間は書く時間」と決めてパソコンを開き、WorkFlowyに書いていく。正直なところこの書く時間は短いものではあるのですが、スケジュールに沿って日々コツコツと手がけることでこれまで続けることができました。
ここでのポイントとしては、書くことは、あくまでもスケジュールに組み込んであるからそれを守って書いているのであって、決して投稿数や文字数など「数」に固執していないことです。
以前は、一定期間での投稿数を目標に掲げて自らを鼓舞すれば書けるのではないかと考えブログを始めましたが、「数」に固執するあまりそれが過剰なプレッシャーで、一旦その「数」の目標が途絶えると、一気に書く気力がなくなりブログを書かなくなりました。
一方で、先述した通りブログを再開してからは投稿する「数」を気にせず、「スケジュール」を立てて「スケジュール」を守ることを第一に意識しました。スケジュールを守り淡々とこなしていくと、結果としては以前よりもブログの投稿数が増えていました。
つまり、「数」を意識して勢いをつけて書くよりも、毎日少しづつでいいから「スケジュール」を守りコツコツと続ける方が自分には合っているのでしょう。「数」に固執しない方が、結果的には「数」が増える。しかも、ストレスが少ない。書くためにはスケジュールを立て習慣化していくことが自分には合っている。
書く時間は、その都度「見つける」のではなく、あらかじめ「割りふって」おこう。 文章を量産する人たちは、スケジュールを立て、きちんと守っている。(中略) 大事なのは、 執筆日数や時間数ではなく、 規則性の方だ。
スケジュールという発想そのものに驚く人もいるのかもしれない。 「えっ、それだけでいいの」 「たくさん書くには、もっと別の方法があるんじゃないの」と尋ねたくなるかもしれないということだ。 でも、それでよい。 スケジュールを立て、スケジュールを守る。 文章をたくさん書くにはそれしかない。
文章をたくさん書くには、特別な性格も、特別な遺伝子も、特別な動機づけもいらない。 そもそも、書きたいと思う必要すらない。デッドラインの設定されていない苦手な作業に着手しようと思う人などめったにいないのだから、書きたいという気持ちになるまで待ったりしないこと。 生産的な執筆作業には、習慣という力を飼いならす作業も含まれる。 そして、習慣は反復によってつくられる。 スケジュールを立て、予定時間になったら机に向かって書くこと。
文章を「紡ぎ出すこと」と「手直しすること」を同時に行わない
文章を書くとき、それがたった1行の文章であっても、数分、あるいは数十分を使うことがあります。
文章の些細な表現が気になり、書いては消し書いては消しを繰り返し、文章を訂正していきます。この作業を繰り返し、やっとの思いで1行が完成する。これでは、気が滅入ってしまい、文章を書くことが一向に進みません。
文章を書くとはこれほどまでに大変なものなのであるのかと考えていたところ、本書で提案する書き方のテクニックが自分には合いそうです。
それは、『文章を紡ぎ出すのと、できた文章を手直しするのは、 同じ執筆作業であっても、まったく別の側面』であり『同時に行わない』こと。そして、書く際には『第1稿は、 英語のネイティブではない人が、どこか別の国の言葉で、猛スピードで英語に訳したような文章でよい。 書くという作業は、創造する作業と批判する作業のミックスだし、イド (原我)の作業とスーパーエゴ (超自我)の作業のミックスでもある。 イドにまかせて、とりとめがなくてもよいから、まずは第1稿を書いてしまおう。書きあげた第1稿をスーパーエゴに評価させて、的確で適切な文章をめざすのは、その後でよい』とのこと。
これまでのように書いては消し書いては消しを繰り返し、1行を完成させていくのではなく、文法や表現を気にせずにとにかく書く、そして書き上げた後に文章を手直しする。
確かにこの方法を試してみると、内容はどうあれ一定量の文章をまずは書くことができました。そして、書くことさえできれば手直しする気力が湧いてくる。その気力に身を委ねて、手直しすればあとはブログをWebにアップするだけです。
この方法で進めてみると、これまでの文章を書く苦労よりも少し緩和されたことを実感します。なぜだろうかと考えると、これまで幾度となく挫折してきたのは、「文章を書けない」ことが原因であったのだと認識します。目の前に文章がなければ手直しもできなければもちろんブログとしてWebにアップすることもできません。
しかし、「とりあえず文章を書く」ことを第一とする本書の方法であれば、内容はどうであれ文章を書くことができる。書くことさえできれば手直しは進められ、ブログが完成する。この方法で書くことに挑戦していこう。
不備な箇所も不適切な表現もない完璧な第1稿を書こうとする人というのもいて、そういう人は、まず間違いなく、文章の執筆が不得手な人だ。 そもそも、「完璧な第1稿」を追求するというのが間違っている。 文を1つこしらえては5分思い悩み、一度消してもう一度こしらえ、今度は何語か書き換えて、いらいらしまくったあげくに次の文に進むなどということをしていしたのでは、ストレスが溜まってしかたがない。 完璧主義に陥ると書けなくなる。