税理士は「書くこと」で「答えを出すこと」ができる 〜『さみしい夜にはペンを持て 』古賀 史健 著 を読んで〜

税理士として「答えを出す」ためには「書くこと」が必要

書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その『考える』という手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね」「書くことは考えること?」「そう。考えることは書くことだと言っても、かまわない」

『考える』 と 『思う』の違いはね、『答えを出そうとすること』にあるんだ」「答えを出そうとすること?」「そうさ。数学なら数学の問題を解こうとするとき、ぼくたちは考える。必死で考える。『思う』だけじゃ、問題は解けない。そうだよね?」(中略)考えるのはすべて、なんとかして『答え』を出すためなんだ。そしてどんな問題でも真剣に考えていけば、いつかは答えにたどり着く。もちろん数学と一緒で、答えを間違えることはあるだろう。結果的に不正解だったということもあるだろう。でも、考える力さえあれば、自分なりの答えを出すことはできるんだ」

 本書では、「書くこと」は、「考えること」そして「答えを出そうとすること」であるといいます。なるほど、私にとって「書くこと」はとても大変なものであるといった認識を持っていましたが、「書くこと」が「考えること」「答えを出そうとすること」につながるのであれば、これまでの認識は間違っていなかったということです。

 税理士として仕事していく上で「書くこと」の必要性を実感します。

 例えば、顧客から税務に関する相談があり、これに対してメールやチャットで回答するときには「書くこと」が必要です。また、税務を進める上で、顧客にして欲しいことや連絡すべき事項を伝えるためにも「書くこと」が必要です。

 このように税理士としての業務を円滑に進める上では「書くこと」は必要なものです。

 しかし、「書くこと」は、先に述べたように「考えること」そして「答えを出そうとすること」であるため簡単ではなく大変なものです。

 税理士が税務判断をするために根拠とする税法は、実務上で直面する細かい事象にまで具体的に明記しているものではありません。そのため、税理士は時として複数の解釈の余地が残されている税法をもとに、顧客からの実務上で生じた様々な相談に対して、ひとつの答えを出すことが求められます。顧客からの税務に関する相談の回答をするときは、もしかしたら間違っているかもしれないという不安の中で答えを導かなければなりません。

 つまり、税理士は直面する実務上の様々な事象に対峙するために、「書くこと」で養われる「考えること」そして「答えを出そうとする」力が必要なのです。

 「考える力さえあれば、自分なりの答えを出すことはできる」と本書ではいいます。

 税理士は「いまの自分にとっての答えはこうだ」と決めて顧客と共に先に進んでいくものです。

 したがって、税理士は「考えること」「答えを出そうとすること」につながる「書くこと」を継続していかなければならないと考えます。

 

成長の実感を求めず、自分に向けて書くこと

こんなふうに思うんだ。なにかを継続させようとするとき、ぼくたちの心を支えてくれるのは『成長している実感』じゃないのかって」 「成長している実感?」 「うんうん」 「ああ。先月の自分より、ちょっと『できること』が増えている。 先週の自分より、ちょっとうまくなっている。きのうはできなかったことが、できるようになっている。そういう成長の実感があってこそ、ものごとは長続きするんじゃないかな」(中略) 「その意味で言うと、日記にも『成長している実感』があると続けやすいよね? 前よりもうまくなったとか、たのしく書けるようになったとか」 「ところが文章って、成長を実感するのがものすごくむずかしいものなんだ。 (中略)しかも日記は、自分しか読まない。ほかのだれかがほめてくれることも、点数をつけてくれることもない」 「だからみんな、日記が長続きしないの?」 「それはおおきいだろうね。なんの手応えもないまま、ただ書き続けるんだからさ」

「ああ。日記ってね、書くものじゃなくて長い時間をかけて『育てるもの』なんだ。 だから1日や2日の日記は、まだぜんぜん日記じゃない。せめて10日くらい続けて、ようやく日記になっていくんだ。ダンジョンの扉として使えるくらいのね」 「じゃあ、おじさんが『10日間書けばわかる」って言ってたのは・・」 「そうだね。今晩書き終えた日記を、初日から読み返してごらん。きっとそこに『秘密の読みもの』があるはずだから」

 数年前にブログを書き始めたときは、いくつか記事を書いた程度で更新が途絶えてしまいました。私にとってブログを書くことは、多くの時間と手間がかかる大変な作業でした。

 大変な作業であるにも関わらず、ブログを書いてもなんら見返りを感じませんでした。せめて書くことが上達し、「以前よりも良い文章が書けるようになった」とか、「ブログを書く時間が短くなった」などの成長が実感できれば続けることが出来たのかもしれませんが、そういった成長も感じませんでした。

 ブログを書くことで前進する要素が感じられず、また、誰かに伝えたい内容も思いつかないため自然とブログを書くことは途絶えました。

 目に見える形での成長や、誰かに伝えることを求めると、書くことが続きません。

 本書を通じてブログを書くことへの考え方を変えました。ブログを書くことによる成長の実感を求めず、ブログは時間をかけて「育てるもの」であること。そして、誰かに向けて書くものではなく「自分が自分に向けて書くもの」と位置付けようと考えます。これであれば肩肘張らずに継続することができ、ブログがいつかきっと『秘密の読みもの』になっていることでしょう。