税理士としての成長には「制約」と「真似」が重要 〜『言語学的ラップの世界』川原繁人 著 を読んで〜

税理士という制約があることが価値になる

私は税理士という資格があることで、顧問先に対して税理士業務を行うことができますが、一方で、社会保険労務士や司法書士などの他の士業の資格を持たないため、これらの業務はできません。

顧問先の日々事業活動をサポートする上では、税理士業務に関する範囲にとどまらず、社会保険労務士や司法書士などの業務の範囲にも及ぶため、本来であれば私が全ての業務を行えれば顧問先にとっては楽で理想的とする考えもあります。

しかし、税理士業務の中だけでもその範囲は広く奥が深いものであることから、私が顧問先にとって有益となるサービスを提供するには税理士という範囲に絞ることが現実的です。仮に制約が無くなんでもできるとしたら、その守備範囲のあまりの広さゆえにサービスの低下が否めないと想像します。

つまり、所有する資格の範囲内でしかサービスを提供できないと言う制約は、デメリットではなく、顧問先のためにつながるものです。制約があることはむしろ顧問先にとっては有益になり得るのです。

なんでもやる広く浅くというスタンスでは自分の良さや特徴は伝わらない。税理士業務という制約の範囲内でサービスを提供し、この制約の範囲内でできることを追求していくことが、顧問先への価値提供につながると考えます。

「制約は創造の母である」 ということばだ。 このことばは、 「 「制約』 というとなんだか 「不自由さ」のようなネガティブな響きがあるが、制約があるからこそ、新しい何かが生まれる」という意味(中略)レオナルド・ダ・ピンチも “Art lives from constraints and dies from freedom” と言っている。 つまり芸術とは制約があるからこそ生きながらえるものであり、自由すぎれば死んでしまうというのだ(中略)イーゴリ・ストラビンスキーというロシアの作曲家も “The more constraints one imposes, the more one frees one’s self”、 つまり 「制約を自分に課せば課すほど、自分自身を自由にできる」と明言している。さらに、歌人の俵万智さんからも同じようなことをお聞きした。 2022年に俵さんと対談した際、俵さんも 「五七五七七という制約があるからこそ、短歌の表現力が生まれる」「制約があるからこそ安心して創作できる」とおっしゃっていた。俵さんにとって、五七五七七という制約は不自由さを強いるものではなく、表現を工夫するきっかけなのだそうだ。

「制約は創造の母である」。日本語の言語学的制約によって現代の日本語ラップの韻の技術が生まれた。そして、韻という制約によって日常ではあり得ない芸術性が生み出される。 制約と聞くと、 我々は何か不自由な縛りを想像しがちだ。しかし、日本語ラップの事例に鑑みると、制約は我々の人生を豊かにしてくれるものかもしれない。 そんな心構えを持って人生に臨みたいものである。

 

真似をすることが良い税理士へ近づくこと

真似は良くないこと、かっこ悪いこととする意見もありますが、ほかの税理士の真似をすることは良くないのでしょうか。

〇〇さんの真似ですか?と言われたくない気持ちもあり、完全に自分だけのオリジナルな税理士でありたいと考えたことがありますが、何をするにも過去の税理士たちが築き上げてきた功績の上に現在の自分がいるという当たり前のことに気付き、完全に自分だけのオリジナルな税理士というのはありえないという考えになりました。

完全に自分だけのオリジナルなものは存在しないという考えのため、実際に私は、ほかの税理士を研究し、いいと思うところを取り入れて真似するようにしています。

ファーストペンギンになるのはかっこ良いかもしれませんが、それに固執することなく、セカンドペンギンでも十分じゃないかとも思います。

さらに、真似しても真似する相手と自分は違う人間なのだから、完全にコピーすることはできません。意識するしないに関わらず、どうしても自分の色は自然と滲み出てしまうものです。であれば、堂々と真似していけばいいのではないかと思います。

もちろん、法に抵触するような真似は避けなければならないことは言うまでもありません。真似したい相手に尊敬の念を持ち真似させていただく気持ちを忘れないことも重要です。法に抵触しないこと、真似する相手に尊敬の念を持つこと、そして、真剣に真似すること、この3つを守って真似し続けることで、理想の税理士像に近づけるんじゃ無いかと考えます。

文化は全て盗用とミクスチャーでできてるわけよ。 例えば、食の文化もそう。 別の国の影響を受けて、 自分の地元のテイストと勝手に混ぜ合わせたものが、日本式カレーライスであり、 ラーメンでしょう。 だから、盗用、盗用言い始めちゃうと、 文化が育たなくなっちゃうんだよね。

最初は文化の盗用ってディスられても仕方ないんだよ。 だってみんな偽物なんだもん、最初は。 それが別の次元に昇華したときに初めて「あっ、カッコいいですね」と認めてもらえるわけだから。

「ゲットーの黒人でもないのに、お前らみたいな中流家庭の日本人がヒップホップなんてやる資格がない」って言われて、最初はすごいバカにされたんだけど、何度ディスられても 「俺はこれがやりてえんだ」って続けていると、 ある日、盗用が盗用じゃなくなるんだ。 別の次元にいくんだよ。「文化の盗用」 と言われないためには、尽きることのないラブとリスペクトが必要だよね。