経営の不安と『自省録』〜税理士が考える「事実」と「判断」の切り離し方〜

こんにちは、栃木の税理士伊沢です。
日々の業務の中で、私は数字や税法と向き合うだけでなく、経営者であるお客様の「人」としての悩みや決断にも触れさせていただく機会が多々あります。税理士という仕事は、単なる税金の計算や申告書作成代行ではなく、お客様の事業と人生に寄り添う「伴走者」であるべきだと考えています。
そんな折、『マルクス・アウレリウス自省録』(岸見一郎 著)を読み、ローマ皇帝であり哲学者であった人物の言葉に、税理士としての「姿勢」や「あり方」について深く考えさせられる箇所がいくつもありました。
その中から特に心に残ったいくつかの言葉を引用しながら、税理士としての姿勢について考えてみたいと思います。
専門家である前に、一人の人間として
税理士は、その職業柄「先生」と呼ばれることがあります。しかし、アウレリウスは皇帝という最高権力者でありながら、自分自身を厳しく戒めていました。
皇帝化させられてしまわないように、染められないように注意せよ。それは現に起こることだから。 (六・三〇)
(岸見氏解説より)皇位にあっても、皇帝化されてはいけない。(中略)昇進し、肩書きが付くと自分が偉くなったような気がするのか、急に居丈高になる人もいます。(中略)地位・肩書きは、人としての価値を表すものではないことを、アウレリウスの言葉は端的に教えてくれます。
税理士という資格や肩書きは、お客様のお役に立つための「役割」に過ぎません。その役割に驕り、「皇帝化」してしまっては、お客様の本当の声を聞くことはできないでしょう。税理士は専門家である前に、お客様と同じ一人の人間として、常に謙虚な姿勢で向き合い続けることを忘れてはならないと、この言葉に強く戒められました。
事実と「判断」を切り離す冷静な目
経営には困難がつきものです。売上が急に落ち込んだり、予期せぬトラブルが発生したり。そんな時、私たちは目の前の出来事に動揺し、必要以上に事態を悪く捉えてしまいがちです。
最初に現れる表象が伝えること以上のことを自分にいうな。何某がお前のことを悪くいっていると告げられた。それは確かに告げられた。だが、お前がそれによって害を受けたとは告げられなかった。(中略)このように常に最初の表象に留まり、自分で内から何一つ言い足すな。 (八・四九)
お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、お前を悩ますのは、その外なるものそれ自体ではなく、それについてのお前の判断なのだ。 (八・四七)
例えば、「売上が30%減少した」という事実は、それ以上でも以下でもありません。しかし、私たちが「もうこの事業はダメかもしれない」「銀行から融資が受けられなくなるかもしれない」という「判断」を付け加えた瞬間に、それは「苦悩」に変わります。
税理士の役割は、まず「売上が30%減少した」という「表象(事実)」を冷静に受け止め、その原因を客観的に分析することです。そして、お客様が「もうダメだ」という「余計な判断」に囚われてしまう前に、データに基づいた次の一手を一緒に考えることです。アウレリウスの言うように、苦悩の多くが「お前の判断の中にある」(九・三二)のであれば、税理士はその判断を吟味し、冷静な現実分析のサポートをすることが重要な役割だと考えます。
「怒り」ではなく「教え、示す」姿勢
税理士の仕事は、時にお客様にとって耳の痛いことをお伝えしなければならない場面や、税務署などと交渉が必要な場面もあります。
怒らずに、教え、そして示せ。 (六・二七)
人間は互いのために生まれた。だから、教えよ。さもなくば耐えよ。 (八・五九)
感情的になって「怒り」をぶつけても、問題は解決しません。アウレリウスは「お前が怒りを爆発させたとしても、それでも彼らは同じことをするだろう」(八・四)とまで言っています。
例えば、税務調査で指摘を受けた時、感情的に反論しても事態は好転しません。税法と事実に基づき、冷静に「教え(説明し)」「示す(証拠を提示する)」ことこそが、お客様を守る最善の方法だと考えます。 また、お客様に節税や経営改善のご提案をする際も、専門用語を振りかざすのではなく、なぜそれが必要なのかを根気よく「教え」、ご理解いただく努力を続ける。それでも伝わらない時は、感情的にならず「耐える(寛容である)」ことも必要だと思います。
穏やかで温和であることこそが「より人間的」であり「より男性的」(一一・一八)であり、本当の「強さ」であるというアウレリウスの言葉は、税理士としての対話の姿勢を教えてくれます。
不安な未来より、「今、ここ」に集中する
経営者は常に未来のことを考え、時に不安に悩まされます。しかし、アウレリウスは、私たちが生きているのは「今、この瞬間」だけだと説きます。
各人は束の間のこの今だけを生きている。それ以外はすでに生き終えてしまったか、不確かなものだ。 (三・一〇)
人生は短い。熟慮と正義を携え、今を無駄にしてはならない。 (四•二六)
過去の失敗を悔やんでも、未来の不確実性を案じても、それ自体が現実を変えることはありません。私たちにできるのは、ストア哲学の言う「権内にあるもの」(=自分の力の内にあるもの)、つまり「今」の行動や判断に最善を尽くすことだけなのかもしれません。
税理士として、決算書による過去の数字を分析するだけでなく、その分析から得られた知見を基に、「今、何をすべきか」をお客様と共に「熟慮」していく。そして、お客様が「今」できる最善の一歩を踏み出せるよう、伴走していく。それこそが、未来への不安を和らげる最も確かな道なのではないでしょうか。
おわりに
アウレリウスは下記のようにも言っています。
お前の内を掘れ。掘り続ければ、そこには常にほとばしり出ることができる善の泉がある。 (七・五九)
景気や、税法改正、他人の評価など外部の環境に振り回されるのではなく、自分自身の「内」にある税理士としての信念や、お客様への誠実さという「善の泉」を常に掘り続けること。そして、お客様にとって、どんな時でも安心して相談できる「難攻不落な城塞」(八・四八)のような存在であるために、私も日々、自分自身の「あり方」を見つめ直し、精進していこうと考えます。

