税理士が見つめ直す「諦める力」~為末大氏の言葉から学ぶ、変化の時代を生き抜くヒント~

こんにちは。栃木の税理士伊沢です。

元陸上選手の為末大さんの著書『諦める力』を読みました。このタイトルに、一瞬ネガティブな印象を抱きがちですが、本書を読み進めると、「諦める」という言葉が持つ、本来のポジティブな意味、そして変化の激しい現代を生き抜くための重要な示唆に満ちていることに気づかされました。

私自身、本書を読み、心に響いたいくつかの文章がありました。これらは、税理士の業務における姿勢や在り方にも深く通じるものがあると感じましたので、本書の内容を踏まえ私なりの考察をしていきたいと思います。

「成長」「拡大」だけが正義なのか?

まず、為末さんは現代日本の価値観について、このように問いを投げかけています。

日本では二〇二〇年のオリンピックに向けて準備が進んでいるが、新しいコンセプトの五輪にしようという機運がある一方で、どこかでやっぱり「大きくて立派」なものを目指しているように見える。どこぞの国にはまだ負けていないことを示したい、という気持ちも見え隠れする。経済的に成熟した国としての振る舞いがまだよくわからないなかで、結局、半世紀以上前のオリンピックのときの価値観で進めてしまっているようにも見える。もちろん、そうでない新しい部分もこれから見えてくるのだろう。そのためには「成長」「拡大」といったものにかわる価値観が必要だ。

税理士業界においても、事務所の規模拡大や顧問先数の増加、売上増といった「拡大」が重視される風潮があります。もちろん、それ自体が悪いわけではないと思います。しかし、それだけが唯一の成功の形ではないはずです。

例えば、あえて顧客数を抑えお客様一人ひとりと真摯に向き合うこと。地域社会に貢献すること。特定の専門分野で他の追随を許さない知識と経験を培うこと等、こうした「拡大」を重要視しない価値観もまた、尊ばれるべきではないでしょうか。

グローバルな視点も大切ですが、足元の価値を見失わない姿勢が、これからの税理士には求められるのかもしれません。

過去の栄光と「価値観ずらし」の重要性

アスリートのセカンドキャリアの難しさについて触れた部分も、税理士としてのキャリアを考える上で示唆に富んでいます。

ゲイツほどではなくても一度何かの分野で成功をおさめた人が、新しいキャリアに転換するのはけっこう難しい。結果を残したアスリートであっても、セカンドキャリアは楽ではないし、会社でそれなりに出世した人の定年後も同じようなことがいえるだろう。本人は意識していなくても、活躍していたときの「残り香」のようなものがあると鼻につく。「むかしはすごかった自分」をうまく葬るにはどうしたらいいのか。まずは、いまの自分を褒めてくれる人を探すことからだと思う。そういう人がいなければ、自分で自分を褒める。簡単なようだが、実はこれがすごく難しい。自分をいままでの価値観から脱洗脳することに等しいからだ。いままでの価値観とは別の尺度を見つけなければ、本気で褒めることはできない。場合によっては、いまの人間関係から距離をおいたり、情報を遮断したり、といったことも必要だろう。

いま立ち止まったら何もかもだめになってしまうのではないか。その恐怖に突き動かされて行き先もわからずただ前に進んでいって、しまいには身動きがとれなくなってしまう……。そういう状況から抜け出すための「価値観ずらし」

税理士もまた、過去の成功体験や、やり方に固執してしまうことがあります。

税制改正やテクノロジーの進化が著しい現代において、従来のやり方が通用しなくなる場面も増えています。そんな時、「昔はこうだった」「自分のやり方が正しい」という思い込みは、変化への対応を遅らせ、結果としてお客様の期待に応えられなくなる可能性があります。

大切なのは、今の自分を客観的に見つめ、新しい価値観を受け入れる柔軟性を持つこと。為末さんの言う「価値観ずらし」は、税理士が専門家として成長し続けるために不可欠な要素だと思います。時には、これまでのやり方を手放す勇気も必要です。

「諦める」の真の意味を知る

本書の核心とも言えるのが、「諦める」という言葉の再定義です。

辞書を引くと、「諦める」とは「見込みがない、仕方がないと思って断念する」という意味だと書いてある。しかし、「諦める」には別の意味があることを、あるお寺の住職との対談で知った。「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だという。仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。そこで、漢和辞典で「諦」の字を調べてみると、「思い切る」「断念する」という意味より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されていた。それがいつからネガティブな解釈に変化したのか、僕にはわからない。しかし、「諦める」という言葉には、決して後ろ向きな意味しかないわけではないことは知っておいていいと思う。さらに漢和辞典をひもとくと「諦」には「さとり」の意味もあるという。こうした本来の意味を知ったうえで「諦める」という言葉をあらためて見つめ直すと、こんなイメージが浮かび上がってくるのではないだろうか。「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」諦めるということはそこで「終わる」とか「逃げる」ということではない。

税理士業務において、「諦める(明らめる)」は、「現状を正確に把握し、最善の道を見極める行為」と考えます。

例えば、ある顧問先の経営状況が芳しくない場合、ただ楽観的な見通しを語るのではなく、厳しい現実を「明らめ」、その上で具体的な改善策の検討を提案する。これは、お客様に対する真摯な姿勢の表れと考えます。また、何でもかんでもお客様のお困りごとを引き受けるのではなく、自身の専門分野や能力の限界を「明らめ」、他の専門家と連携することも、結果としてお客様により質の高いサービスを提供することにつながります。

目的と手段を見誤らない

為末さんは、目的と手段の関係についても重要な指摘をしています。

多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。(中略)そもそも、自分は何をしたいのか。自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと、目的に向かう道が無数に見えてくる。道は一つではないが、一つしか選べない。だから、Aという道を行きたければ、Bという道は諦めるしかない。最終的に目的に到達することと、何かを諦めることはトレードオフなのだ。何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい。

税理士の目的は、突き詰めれば「お客様の健全な発展と安心に貢献すること」ではないでしょうか。その目的を達成するための手段は、帳簿作成や税務申告業務だけではありません。経営相談、IT導入支援、融資相談、事業承継支援など、お客様のニーズに応じて様々な手段があり得ます。

もし、従来のやり方(手段)がお客様の真の目的達成に貢献しなくなっているのであれば、その手段を「諦め」、新しい手段を模索する勇気が必要です。目的を見失わず、手段に固執しない柔軟性が、変化の時代を生き抜く税理士には不可欠です。

「勝ちやすい」フィールドを見極める戦略

為末さんは、アスリートの戦略として「勝ちやすい」フィールドを選ぶことの重要性を説いています。

「勝ちやすい」ところを見極める こうした考えを表明することは、今の日本ではリスクが大きい。「私がこの種目を選んだのは、勝ちやすいからです」そんなことを言おうものなら、世間の人は言うだろう。「動機が不純だ」(中略)人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。僕は、これが戦略だと思っている。戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだめ、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。(中略)僕が言いたいのは、あくまでも「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」ということである。言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない。負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめないということだ。

これは、税理士における専門分野特化戦略にも通じるものがあります。

全ての税法分野でトップレベルの知識を維持することは困難です。しかし、特定の分野、例えば相続・事業承継、医療経営、国際税務などに特化することで、その分野で「勝ちやすい」ポジションを築くことができます。これは「逃げ」ではなく、限られたリソースを効果的に活用し、お客様に質の高い専門サービスを提供するための賢明な「戦略」と言えると思います。

自分の強みを「明らめ」、戦うべきフィールドを選択する。その過程で、不得手な分野は潔く「諦める」ことも時には必要だと考えます。

「サンクコスト」に囚われず、未来を見る

過去の投資に囚われてしまう「サンクコストの呪縛」についても、為末さんは注意を促しています。

経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しないのが鉄則とされている。日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向が強い。過去の蓄積を大事にするというと聞こえはいいが、実態は過去を引きずっているにすぎないと思う。経済活動も含めて、日本人はサンクコストを切り捨てることが苦手だし、サンクコストを振り切って前に進むのがいけないことのように考えがちだ。(中略)未来にひもづけられているのは「希望」である。ところが、この「希望」と「願望」を混同している人があまりにも多い

税理士業務においても、「これまでこのやり方でやってきたから」「このシステムに投資したから」といった理由で、変化をためらってしまうことがあります。

しかし、その過去の投資(サンクコスト)が、未来の成長や顧客満足の向上を阻害しているのであれば、勇気を持って見直す必要があります。大切なのは、過去ではなく未来を見据え、希望ある選択をしていきたい。

変化を恐れず、「選び直す」勇気

為末さんは、「やめる」「諦める」という言葉を、もっと前向きな言葉で言い換えられないかと提案しています。

僕は「やめる」「諦める」という言葉を、まったく違う言葉で言い換えられないかと思っている。たとえば「選び直す」「修正する」といった前向きな言葉だ。そうすれば、多くの人にとって「やめる」「諦める」という選択肢が、もっとリアルに感じられるのではないだろうか。日本では「やめる」「諦める」という行動の背後に、自分の能力が足りなかったという負い目や後ろめたさや敗北感を強く持ちすぎるような気がする。「自分には合わなかった」本質的には、ただそれだけのことではないだろうか。自分が成功しなかったのは、その分野に合わなかっただけだ。ほかに合うフィールドがあるかもしれないから、諦めて、やめて、移動するのだ。

税理士として、時には従来の業務スタイルや専門分野を「選び直す」「修正する」必要に迫られることもあります。それは決して敗北ではなく、変化への適応であり、新たな可能性への挑戦です。「自分には合わなかった」と潔く認め、新たなフィールドに踏み出す勇気が、これからの税理士には求められると考えます。

まとめ

前述してきたように、為末大さんの『諦める力』は、私たち税理士にとっても多くの示唆を与えてくれます。

「諦める」とは、決してネガティブな行為ではありません。むしろ、現状を正しく認識し、より良い未来を選択するための積極的な決断です。この「諦める力」を身につけることが、変化の激しい時代において、税理士が専門家として活躍していく鍵となるのではと考えます。