経営者に必要なのは「数字」より「肯定」かもしれない。~恩田陸著『小説以外』を読んで~

こんにちは。栃木の税理士伊沢です。

恩田陸さんのエッセイ集『小説以外』を読みました。小説家の思考や日常が垣間見える興味深い一冊ですが、その中に、税理士という仕事の姿勢や在り方を考える上で、深く共感し、参考にすべきだと感じる一節がありました。その文章を引用しながら、税理士業務について考えてみたいと思います。

真剣に向き合うことの価値

まず、現代社会における人間関係の希薄さを指摘した、格闘技に関するこの一節が印象に残りました。

日ごろ愛や憎しみに手を抜き、他人との摩擦を避けている現代人にとって、これからますます格闘技は神聖なものとなるだろう。自分の肉体を賭けて真剣に相手と向き合う強さは、これからますます人間から失われていくだろう。喧嘩もできない。(中略)パソコンを介して仕事と友人を探す。他人の身体に触れることはますますタブーに、ますます不浄なものになっていくような気がする。その一方で、「格闘」という、およそアナクロ的なものが必要以上にあがめられるようになるのではないか。

これを読んだとき、税理士と経営者であるお客様との関係もまた、ある種の「格闘」に似た真剣さが必要なのではないかと感じました。もちろん、物理的に戦うわけではありません。しかし、お客様の会社の未来、そしてお客様ご自身や従業員さんの生活が懸かっている数字と向き合うとき、税理士は「なあなあ」や「手抜き」をすることは許されません。

時には、耳の痛い指摘をしなければならないこともあります。厳しい経営状況を提示し、改善策を共に考える。それは、摩擦を恐れていてはできないことです。お客様の事業というリングに共に上がり、真剣に向き合う。その強さこそが、税理士に求められる価値なのではないかと考えさせられました。

お客様が本当に求めている「肯定」

恩田さんは、現代人が渇望するものについて、こうも述べられています。

なぜみんなそれを口に出そうとしないのだろうか?それは、自分たちの渇望を埋めるだけの愛を供給できる男がほとんどいないことを、みんな薄々勘付いているからである。なぜならば、今の日本男性が求めているのは「肯定」である。彼等がおしなべて弱気なのは、徹底的に自分たちの人生を「否定」されているところにある。君の今までのやり方は通用しないと否定され、君のやり方では女は満足しないと言われる。彼等は誰かに「肯定」されることを求めているのだ。「あなたはそれでいいのよ」と暖かく肯定されやすらぐことだけが彼等の望みなのだ。

経営者という立場は、孤独です。常に決断を迫られ、その結果の全責任を負わなければなりません。市場から、金融機関から、時には従業員さんから、目に見えない「否定」のプレッシャーに晒されているといえます。

税理士が提供すべきなのは、単なる正確な税務申告書だけではないはずです。数字という客観的な事実に基づきながらも、その裏にあるお客様である経営者の努力や挑戦、思いそして苦悩を理解し、「あなたのやり方は間違っていない」「ここまで本当によく頑張ってきましたよね」と、その存在を「肯定」すること。それが、お客様が心から安らぎ、次の一歩を踏み出すためのエネルギーになるのではないでしょうか。

専門家としての距離感

お客様に寄り添う一方で、専門家としての客観性を保つことの重要性も感じます。そのヒントとなるのが、次の言葉です。

かなり前に読んだ心理学の本で、私が気に入っている言葉がある。「一人でいる時は二人でいるつもりで、二人でいる時は一人でいるつもりで」この言葉はそういうことを指しているのではないかと勝手に解釈している。常に他者の存在を感じつつ、誰かに寄り掛からずに一人に戻れる覚悟をどこかに持つ。

これは、税理士のスタンスそのものだと感じます。お客様と二人三脚で歩む時も(二人でいる時)、常に専門家として俯瞰で見るもう一人の自分を持つ(一人でいるつもり)。そして、孤独に最新の税法や知識を学ぶ時も(一人でいる時)、常にお客様の顔を思い浮かべ、そのために知識を深める(二人でいるつもり)。この絶妙なバランス感覚こそが、お客様から信頼関係を築く上で大事なことだと思います。

「今」を大切にする視点

最後に、現代社会の速度についての一節です。

このところの世界の加速のしかたといったら、半端ではない。(中略)なぜ私たちは急がなければならないのだろう。美しい夕焼けを見る時間も、愛する人と話す時間をも惜しんで、なんのためにこんなに恐ろしい勢いで走らされているのだろう。(中略)いつも先のことばかり考え、予定表を約束で埋め予約したことだけに満足して、肝心の「今」が常に置き去りになってしまっているような気がしてならない。「今」の積み重ねの先に未来があるということが実感できないのだ。

経営においても、未来のビジョンはもちろん大切です。しかし、それに追われるあまり、足元の資金繰りや、従業員さんの働きがいといった、大切な「今」が置き去りにされてはいないでしょうか。

税理士は、お客様が目まぐるしい日々の中で見失いがちな「今」に光を当てる役割も担っているはずです。未来の不安を煽るのではなく、「今」の課題を一つひとつクリアにし、「今」の強みを再確認する。その着実な積み重ねの先に未来があると、肝に銘じて税理士業務に取り組みたいと思います。

おわりに

恩田さんは、読書についてこう書かれています。

読書という行為は孤独を強いるけれども、独りではなしえない。(中略)独りで本と向き合い、自分が何者か考え始めた時から、読者は世界と繋がることができる。孤独であるということは、誰とでも出会えるということなのだ。

税理士という仕事もまた、孤独な学びや探求の連続です。しかし、その孤独な作業が、お客様というかけがえのない他者と出会い、その世界と深く繋がることを可能にしてくれます。

この本から得られた気づきを日々の業務に活かしていきたいと思います。